広島地方裁判所 昭和41年(タ)18号 判決 1968年11月27日
原告 一松太郎
右訴訟代理人弁護士 開原真弓
被告 一松花子
右訴訟代理人弁護士 加藤公敏
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者双方の求める裁判
一、原告
(一) 原告と被告とを離婚する。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
≪以下事実省略≫
理由
≪証拠省略≫を総合し、本件弁論の全趣旨に徴すれば、次の各事実を認めることができる。
(一) 原・被告の結婚に至るまでの経歴
原告は、一松清、同和子の二男として昭和一〇年二月一〇日大牟田市で出生、高校卒業後将来の就職のことを考えて国立大学工学部を受験したが失敗、その後浪人してF大学に入学したが妹と共に同じ大学に通学することに不満を感じて一年の半ばで中退し親を説得して更に浪人生活を送っていたが次第に自信を失い、ついに大学進学をあきらめて昭和三三年七月M化学工業株式会社に入社、同会社E工場に勤務することになった。就職後約三年間は浪人生活の延長のようなもので、帰寮後は仕事上の必要から化学等の独習に専念し同僚とも殆んど交際しなかったようであるが、その頃職場の世話役や職場代表に選ばれたことを契機として同僚・異性等にも接近し、次第に外向的・活動的性格を示すようになった。その間職場の女性と交際したり見合いしたこともあったがいずれも結婚するに至らず、かえって昭和三七年頃から遊興の味を覚え、水商売の女性と肉体関係を結ぶ等して独身生活を大いに享受していた。ところが、原告は昭和三九年末郷里大牟田市に帰省した際、兄の友人の両親である大山夫婦の世話で被告と見合、その後深い交際もないまま同四〇年一月二六日大牟田市内の○○○○○○において、同夫妻の媒酌により結婚式を挙げ、同年二月一三日婚姻の届出をした。
他方、被告は、吉野和郎、同トメの二女として昭和九年六月七日大牟田市で出生、高校卒業後母の奨める大学を受験したが失敗、その後一年浪人してK女子短期大学家政科に入学、卒業後僻地の教員を希望したが母の反対で大牟田市内の幼稚園に就職、一年間保母として働いたが退職、その後は約八年間に亘って専ら家庭にあって家事を手伝う傍ら花道、茶道等の稽古に励んでいたが、昭和四〇年一月二六日前記のとおり大山夫妻の媒酌により原告と結婚した。
(二) 結婚後の生活状況
かくして、原・被告両名は、M化学の社宅において新婚生活を送ることとなったのであるが、原告は結婚前すでに異性と肉体関係を結んだこともあったためか、早くも新婚旅行の初夜から被告の膣部に異常な臭を感ずると共にその後も夫婦関係の都度異常な臭のため不快感を覚えたので次第に夫婦関係をさけるようになっていったのに加えて被告との新婚生活には結婚前期待していたような甘い雰囲気が感じられず、日増に結婚生活が索莫なものに感じられるようになるに至った。他方、被告は、長年の家事の経験から新婚家庭の家事も一応几帳面にこなしたが、保守的な貞女意識に捉われてか就寝・起床等は夫と共にせず、朝は常に夫より早く起きると共に夜はつとめて夫より遅れて床に就き、夫が帰宅後もテレビの娯楽番組等を見ながら共に楽しく談笑するというよりはむしろ別室に籠って読書したり編物をして過し勝ちであったところから、原告の前記のごとき態度も影響して、次第に夫婦間の融和性を失い夫婦関係も疎遠になっていった。
たまたま昭和四〇年六月頃被告がN産婦人科医院に通院するようになったことを契機として、かねて被告との夫婦関係に快よく思っていなかった原告は、これを口実に殊更被告をさけて夜遅くまで同僚と麻雀したり外泊することも多く、果ては被告より他の女性へと興味が移っていったのであるが、被告としては、原告の前記のごとき冷淡で拒否的な態度にいささか不安を感じつつも、貞女として忍耐強く耐え忍んできた。
原告は、昭和四〇年八月一五日被告と共にお盆休みのため郷里大牟田の実家に帰省した際、原・被告の親や大山夫人等が一同に会した席上で、突然被告に対する不満を述べ離婚したい旨打明けたが、結局同人等に原告の我侭を諭され、被告も泣いて愛情を訴えたので、原・被告双方とも従前のことは水に流して再び幸福な結婚生活を送るべく努力することを誓って大竹市に戻った。しかしながら、原・被告双方の生活態度は容易に変容することなく、原告としては、その後数日間は定刻通り会社から帰宅したものの、その後は帰宅も遅れ勝ちで外泊も多く、家庭の不満を外で解消する様子であったところ、昭和四〇年一一月一四日夜も原告が遅く帰宅してすぐ床についたので、これに腹を立てた被告が、原告のような態度では円満な結婚生活ができない旨の発言をしたことが機縁で原告の態度が硬化し、被告が哀願するにも耳をかさず、同夜遅く家を出て、M化学の独身寮にいる原告の実弟の部屋に同居することになった。
その後、被告から前記の事情を打明けられた原・被告の親等は、このような事態を打開するため早速大竹市の原告の寮を訪れ、その善後策を検討した結果、原告の実家から被告を大牟田市の原告の実家において家風を見習いさせ、しばらく冷却期間を設ける旨の提案もなされたが、被告の実家が、原・被告を別居させれば、両名が次第に疎遠になって事実上の離婚に至ることを危惧したため結局話合いがつかず、原告は独身寮に被告は社宅にそれぞれ別れて生活を続けざるをえなくなった。その後原告は被告の母、兄等から無理に会社の辞職願を要求されるという一幕もあって、原・被告の反目は、次第に、原告の実家と被告の実家との抗争にまで進展した。
かくして、昭和四一年一月一四日被告から広島家庭裁判所に夫婦関係調整の調停事件が、更に原告から離婚の調停が、相次いで申立てられたが、いずれも双方の敵意解消せず、自己の立場を固執したため調整に至らず不調に終った。
その間原告は前記独身寮を出て大竹市内に間借りし生活するようになったが、その部屋に他の女性が出入するところをたまたまそこを通りかかった被告に発見されて咎められ、その場は「女が寝泊りに来て何が悪いか。」等と強気をいって一応のがれたもののこのままでは自己の立場が不利になると考え、被告の住む社宅に戻った。そこで、被告としては帰って来た原告に少しでも自己の誠意を示すべく食事を用意して与えたこともあったが、原告は被告の誠意を無視し、茶碗をその場に投げつける等して全く被告の好意を受けつけなかったので、その後は現在まで一つ屋根の下で食事、部屋を別にした生活を続けている。
(三) 原・被告の性格および生活態度
原告は、幼少から開放的、放任的な家庭で幾分気侭に育ったためか、積極的・融和的であるが、許容・寛容の態度に乏しく、極めて独善的・自己本位的で、そのため自己主張ないし自尊心は強い反面依存的で他人に甘え勝ちな性格である。そして貞操観念が稀薄で開放的、放縦的であるから結婚後は妻に自己の思のままを押付けるといういわゆる亭主関白を要求し、かつ結婚前の性経験の豊富さから被告に対する性的欲求も強く全体的に新婚の甘い雰囲気を期待する傾向にあった。
これに反し、被告は、性をタブーとするような保守的な家庭で規律厳しく育ったためか、消極的・固執的である上、社会経験、常識に乏しく、誠実ではあるが、感受性・共感性に乏しい。また結婚については観念的には古い伝統的観念に捉われすぎた傾向があるので、結婚後は夫に酒や煙草を嗜まないことを期待すると共に自からは夫唱婦随的態度をとり、朝は夫より早く起きると共に夜はつとめて夫に遅れて床に就き、原告が勝負事のため帰宅が遅くなって外泊したり、更には、他の女性と肉体関係を持つに至っても、これを耐え忍んで我慢してきたという状態であった。
(四) 原・被告の現在の心境
原告としては、新婚の初夜から被告の膣部に異常な臭いを感じて夫婦生活に嫌気を抱くに至った上被告との性格の相異等から被告との結婚生活に興味を失ったこと、結婚後現在まで実質上の夫婦同居生活がなかったことはいうに及ばず現在は一つ屋根の下で部屋・食事を別にして生活していることから何かにつけてトラブルが生じ、神経も疲れ、もはやこれ以上被告と結婚を継続したくないという心境にある。
被告としては、原告の結婚は浮薄な気持からでなく女の一生をかけたものであるから、結婚後未だ僅かな年月しか経過していない現在好き嫌いの感情や性格の不一致等の理由では、どうしても原告の離婚の要求に応ずることができない。むしろ原告が被告の欠点のみを捉えてこれを攻撃するが如き頑な態度を反省し、お互いが力を合せて真の意味の結婚生活を回復すべく努力すれば、必ず将来幸福な結婚生活が送れるものと信じている心境にある。
おおむね以上の各事実が認められ(る)。≪証拠判断省略≫
二、そこで、前段認定の各事実を仔細に検討、勘案して考えを進めてみるに、なるほど原・被告間の夫婦としての婚姻関係は、昭和四〇年一一月頃から現在に至るまでその実体を失い単なる形骸のみを止めているにすぎないものであることを推認するに難くはないが、その原因は被告の肉体的欠陥に端を発したといえ、それは、原告に対し性交時にいささか不快感を与える外は到底夫婦生活に支障を来すものではありえないことは医師の診断上明らかであるから、原告としては被告の右立場に同情し、温い愛情と理解をもって、被告の病気が一日も早く回復するよう善導・協力すべきであるのにかかわらず、結婚前の性経験から、殊更、これを誇大視して被告を責め、それが治癒した後もこれを理由に被告に対し離婚を強要することは世上あまり例をみないことであって、いささか自己本位な常識に欠ける言動であるとの誹を免れえない。また原・被告の結婚生活には新婚当時から新婚特有の甘い雰囲気が感じられなかったことも認めるには吝かではないが、見合後の交際期間もなく、また被告は保守的な規律の厳しい家庭に育った教養ある女性であって社会経験も男性との交際経験も乏しいものであることを考慮すれば、被告のような態度も誠に止むをえないものであるから、このような被告の態度をとらえて、原告に対して冷淡であるとか愛情がないとか云って非難する原告こそ常識を欠くというべきである。
もっとも前示鑑定の結果によると、原・被告の性格には互に離反要因がありしかもこれが改善は容易でないから最も情緒的結合を中心とする夫婦関係にあってはこれ以上夫婦関係を維持・継続することは相当に困難であることがうかがわれるけれども、その原因の大部分は前述のごとく原告の常識に欠ける言動に基づくものであり、また原・被告の性格の不一致も、原告の前記の言動や結婚中の不貞行為等によって一段と激しくなっていったともいえるのであるから、将来長期間に亘る両名の努力によって到底融和しえないものとは速断し難い。ましてや被告は現在においても原告に切なる愛情を抱き、良き妻、良き嫁となるべく自ら足なかった点を反省して原告との幸せな結婚生活を待望しているのであるから、原告においても過去を回顧することのみに捉われず、被告との幸福に深く思いを到し、被告同様反省してほしいままの感情をおさえ、相手の立場を理解していたわりつつ起居を共にして努力すれば、将来再び幸福な夫婦生活を築きあげることは必ずしも不可能とは考えられない。
したがって、結局本件にあっては、原告と被告との間には婚姻を継続し難い重大な事由があるということができない。
三、よって、被告との離婚を求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 塩崎勤)